遼寧級航空母艦(型式名は001型航空母艦)は、中国が1998年にウクライナから購入した元ロシア空母ワリヤーグ(11436型)を大連で再生作業を行った上で中国海軍に就役させた艦である。同艦の就役は、長年空母の保有を目指してきた中国海軍にとって、一つの到達点となる出来事であるといえる。
中国は冷戦後に変化した戦略環境と好調な経済発展を背景に、海軍の役割の拡大を図ってきた。その中でもっとも注目を集めているのが空母保有計画である。空母艦隊の建設は、中国にとっては国力の象徴であると共に、海洋権益の確保、シーレーンの保護、台湾上陸作戦の支援に必須であり、強力なアメリカ空母艦隊や海上自衛隊に対抗するうえでも重要な存在になる。
【ワリヤーグ購入に至る経緯】
中国海軍は、1970年に航空母艦の建造に関する初歩的研究を開始したが、艦載機の調達が出来ないとの理由で翌年には研究を中止している[1][2]。その後、西側との関係改善が進み、1978年にはイギリスからシーハリアー垂直/短距離離着陸(V/STOL)戦闘機と18,000t級の軽空母を導入する計画が持ち上がり、イギリスとの接触が行われた。しかし、計画を支持していた華国鋒の失脚と、鄧小平による経済再建優先政策と国防費の圧縮により計画実現には至らなかった[1][2]。
1980年代に入ると、中国海軍の将来戦略に関する研究が行われ、その中で航空母艦の保有についても見当が行われるようになる。1982年、海軍近代化に尽力したため後に「中国のゴルシコフ」と呼ばれる劉華清が海軍司令員に就任すると、空母の保有が検討されるようになったが、当時の中国経済は空母の保有を許す段階には無く、1984年の第一回海軍装備技術工作会議において国力の不足を理由として空母保有計画の見送りを決めた[1][3]。それから二年後、1986年の海軍装備報告書作成作業において、劉華清は空母の必要性を再度主張。最終的には、第7次五カ年計画(1986~1990)期間中に空母保有に向けた論証を開始、第8次五ヵ年計画(1991~1996)期間中に空母本体と艦載機の鍵となる課題の先行研究を進め、2000年に状況を見ながら保有の是非を決めるとの方針が定められた[4][5]。
中国の空母保有に向けた動きは、まず外国の退役空母を購入して実地調査を行うという形で動き出した。1985年、中国はオーストラリア海軍の退役空母メルボルン(旧英空母マジェスティック、排水量20,000t)をスクラップとして購入する事に成功した[6]。メルボルンは中国海軍当局の手で構造や設備が仔細に調査され、9年後の1994年になってからようやく解体された。同艦に装備されていた蒸気カタパルトは特に念入りに調査され、現在でも中国国内に保管されているという[6]。
▽オーストラリア空母「メルボルン」(左)と旧ソ連空母「キエフ」(右)
1990年代中頃にはロシアからキエフ級空母(ソ連海軍の正式名称は1143型重航空巡洋艦)の1番艦キエフと2番艦ミンスクをスクラップ名義で購入し、これも徹底的に調査が行われた[6]。ミンスクは売却に際して兵装や重要設備は全て撤去されるはずだったが、実際には極秘の機材を含む兵装や設備、それに関する資料などがそのまま残されており、中国海軍にとって貴重な参考資料となったと推測される[7]。
また中国は海外から完成した空母を購入する方法も模索した。キエフ級空母をロシアから購入した時、ロシアはこれと並行してキエフ級の改良型を中国に提案したが、中国はその中途半端な性能に満足せず、この話はそれで終わった[6]。
1995年には、スペインのバザン造船所(現ナバンティア)が、SAC200(排水量23,000t)、SAC220(排水量25,000t)という二種類の在来型離着陸(CTOL)航空母艦建造設計案を中国に提案した事が報じられた[1][8]。3億5000万~4億ドルという比較的安価な建造費用で正規空母を保有できるというのが売りであった。中国は検討の結果、SAC200/220は低価格ではあるが品質は低く、特にCTOL機の運用についてはスペインが蒸気カタパルト技術を保有していない事から実際にはCTOL機に比べて性能の劣るV/STOL機しか搭載できず、その種の機体を中国が調達するのは困難と判断、スペインの提案を却下した[1][2]。ただし、バザン社が作成した設計草案については、将来の空母保有に向けた研究費として300万ドルを支払って購入している[1][2]。
フランスはクレマンソー級空母(排水量32,780t)の改造プランを中国に持ちかけたが、中国側はシャルル・ド・ゴール級原子力空母(排水量40,550t)の設計資料と建造支援を要求し、EUの対中武器輸出規制の解除の見通しが立たなかった事もあり商談は纏まらなかった[6][9]。
その後中国は前述のメルボルンやキエフ、ミンスクなどから得たデータを基に排水量48,000tクラス(搭載機24機)の国産空母の設計に着手したが、1998年にウクライナから有力な空母である改クズネツォフ級ワリヤーグ(11436型、排水量58,900t)をスクラップとして購入するメドが立ったためその作業は中止された[6]。
【ワリヤーグ購入の経緯】
ワリヤーグは旧ソ連初の全通飛行甲板型空母アドミラル・クズネツォフ(11435型航空重巡洋艦)に続く順同型艦として建造されたもので、各部に改良が加えられた事から11436型の設計名称が与えられた[6]。1986年12月4日にニコライエフ造船所にて起工(起工時の艦名はリガ)、1988年11月に進水した。進水までは極めて順調に進んだワリヤーグだが、ニコライエフ造船所はソ連崩壊後に独立したウクライナの国営造船所になったためワリヤーグの所有権をめぐって混乱、1992年に完成度75%の状態で建造は完全にストップしてしまった[6]。空母に詳しいロシア高官によれば「実際は装備品の取り付けや機器の調整、塗装などが残されているだけで、艦全体としてはほぼ完成に近い」状況だったという[6]。
その後ロシア政府とウクライナ政府の間で交渉が繰り返されワリヤーグはウクライナの所有になったが、ウクライナは同艦をスクラップとして海外に売却する事にし、1998年4月に中国軍と情報機関が設立したマカオの観光会社(社長は中国情報機関の退役大佐)が2,600万ドルで購入した[6]。購入の目的は船内にカジノや劇場などを持つ洋上の5つ星ホテルに改装する事とされており、契約項目にも同艦を軍事目的で再生する事を禁じる旨が書かれていたが、ワリヤーグを購入した観光会社は同艦が中国の大連に到着した後に煙のように消えてしまったため、この契約事項もまるで意味の無いものになってしまった[6]。
ニコライエフ造船所は中国に売却する際に、ホテルには不要な設備や機器を解体・撤去したが、作業に関わった造船所の関係者は「主機(エンジン)とそれに関連する設備、電気系統はそのままそっくり残っており、切断されたパイプやケーブルなども簡単に再生できる状態だった」と説明している[6]。
▽中国に回航される「ワリヤーグ」(左)と大連港に係留された「ワリヤーグ」(右)
【中国到着後のワリヤーグ】
2002年3月3日に大連に到着したワリヤーグは、大連港西区の4号埠頭に停泊し、中国海軍の造船官をはじめとするあらゆる部門の専門家に徹底的に調査された。この間、内部の再生や修理などもある程度試みられている[10]。
2005年2月に調査作業が終了すると、同年4月から大連造船所第一工場の30万トン級造船ドックに入渠して再生作業が開始された[6][10]。10数年にわたって放置されていたワリヤーグの船体は錆だらけで、船底には海洋生物が多数付着した状態であった。再生作業では、まず船体の清掃処置が行われ、錆や海洋生物を除去した後、投影法でその体形と線形を改めて計測した[11]。ドックでは、船体の清掃処理、飛行甲板への滑り止め砂や艦体への防腐塗料の吹き付けが行われた[11]。最も重要な作業としては、スクリュー、シャフト、舵装置、舵面、フィン・スタビライザーが徹底的に検修され、新型ソナーへの換装が実施されている[11]。ただし、これらの作業はドック内部で行われたため外部からは改装作業の進展具合は確認できない状態が続いていた[11]。
ワリヤーグの再生作業を分析したロシア海軍の関係者は「作業を見る限り、中国はワリヤーグの復活を目的に改造を施しているようだ。おそらく実験艦を兼ねた第一線空母として再生し、国産空母建造への土台にするのだろう」と述べている[6]。中国はワリヤーグ開発を担当したネブスコエ設計局やニコライエフ造船所の技師達を多数招いており、またロシアから同艦の設計図面や技術図、資料を全て購入していた[6]。
ワリヤーグは、船体を中国海軍の標準塗装「浅藍灰色」に塗り替えられ、船底には防腐塗料が塗装された状態でドックから出渠したが、その状態で埠頭に停泊する時期が続いた[11]。2008年末、船体前部の飛行甲板が約20m四方の正方形にカットされて、艦内に配置されていたP-700グラニート(NATO名SS-N-19シップレックス)SSMの垂直発射装置と隔壁を撤去する工事が開始された。この垂直発射装置は、ミサイルのランチャーが飛行甲板を支える形になっており単に取り外すだけでは甲板強度を維持できなくなるので、艦内構造にかなりの手を加える必要のある大工事を余儀なくされる[12]。中国があえてこのような大規模な改装を行ったのは、格納庫の面積を拡大して搭載機数を増やすためであった。改装により格納庫面積は1000平方メートル増加し、J-15戦闘機4機もしくはZ-8ヘリコプター7機を余分に搭載できるスペースを確保するのに成功した[11]。
2009年4月27日、永らく大連の埠頭に停泊していたワリヤーグが、タグボートや哨戒艇に同航されて5km西側にある大連船舶所第3工場の専用ドックに入渠したのが確認された[11][13]。中国軍関係者によると、ワリヤーグの機関や電気系統などの主要部分の改装工事は終了し、ドックへの移動もタグボートなどは使用せず自力航行を行ったとの事[13]。2009年9月には、艦橋構造物に足場が組まれ、船体各部にも開口部が設けられるなど、規模の大きな改装作業が行われている様子が伝えられている[14]。アイランド自体の構造に手をつける大規模な改修工事が開始され、まず艦橋の第4甲板から上部のかなりの部分が撤去され、改めて艦橋構造物の建設が行われ艦橋の四隅にはフェイズド・アレイ・レーダー搭載用の開口部が空けられた。
2010年3月、ワリヤーグは4度目の移動を行い、専用ドックと桟橋を隔てたわずか数メートル南外側の艤装埠頭の平行位置に移動した。この時点で、舷側の丸窓は全て塞がれて密封式にされていた[11]。2010年5月には動力装置の試運転開始が確認され、2010年8月に最初の蒸気ボイラー試験が行われた。同年12月には動力装置(発電関連設備)の試運転も完了した[11]。2010年11月、アイランド頂部のマストに382型「海鷹」3次元レーダー(ロシアのフレガートMAE-5の中国版)が搭載され[11][12]、2011年2月には052C型駆逐艦にも搭載されているH/LJG-346(もしくは348型「海獅」)フェイズド・アレイ・レーダーの取り付け工事が開始された[11]。2011年4月にはほとんどの電子装備の搭載が完了し、それまでの防腐塗料の上から海軍の標準塗装「浅藍灰色」が塗布された。この時点で、各種兵装や着艦拘束装置などの搭載も完了していた[11]。
2011年7月27日、中国国防部の耿雁生報道官は、旧式空母を改造し、科学研究試験と訓練に利用する事を明らかにした[14]。中国国防部が、ワリヤーグの修復と中国海軍への再就役について公式に認めたのはこれが初となる。この時点では、ワリヤーグの中国海軍での艦名は明らかにされず、「航母平台(空母プラットフォーム)」と呼称されていた[15]。8月3日、ワリヤーグの改修工事の完了記念式典が挙行され、中国の消息筋によると共産党中央軍事委員会高官も視察し、完成を確認したとの事[16]。
完成記念式典から一週間後の8月11日、ワリヤーグは第一回目の洋上公試を開始[18]。以後、約1年間に渡って合計10回の公試が実施された。各公試の日程は以下の通り。
第一回公試 | 2011年8月10日~8月14日[18] |
第二回公試 | 2011年11月29日~12月11日[18] |
第三回公試 | 2011年12月20日~12月29日[18] |
第四回公試 | 2012年1月8日~1月15日[18] |
第五回公試 | 2012年4月20日~4月30日[18] |
第六回公試 | 2012年5月6日~5月15日[18] |
第七回公試 | 2012年5月23日~6月1日[18] |
第八回公試 | 2012年6月7日~6月22日[18] |
第九回公試 | 2012年7月5日~7月30日[19] |
第十回公試 | 2012年8月27日~8月30日[20][21] |
公試の具体的な内容は明らかにされていないが、船体や機関などの航行試験、電子機器の整合性、艦載機の運用に向けた各種試験などが行われたものと推測されている[18]。
特に、第五回目の公試から、艦上戦闘機の発艦時のジェット噴流をそらす装置である甲板上のブラスト・デフレクターが焦げているのが確認されており[18]、J-15戦闘機による甲板上でのエンジン作動試験が行われたものと推測される。この際に、その存在の有無が論議を呼んでいた着艦拘束装置(アレスティング・ワイヤ)が装備されている事も明らかになった[16]。
2012年中旬には、Z-8ヘリコプターによる洋上での着艦テスト(Z-8による着艦自体は第二回公試の前に実施されている)、空母上空をフライパスするJ-15戦闘機の写真が公開され、発着艦試験に向けた準備が進められている事が確認された[16]。
2012年9月2日、大連港においてワリヤーグの中国海軍への就役式典が開催され、「遼寧」(艦番号16)と命名された[22]。式典の写真では、遼寧の型式名として「001型航空母艦」という名称が公開されている[23]。就役式典では胡錦濤国家主席が軍旗を授与し、温家宝首相が「空母発展は重大な戦略決断で、就役は重要な里程標」との中国共産党中央、国務院、中央軍事委員会連名の祝電を読み上げた[22]。
2012年10月頃になると、飛行甲板のアレスティング・ワイヤ付近にタッチ・アンド・ゴー訓練の際に付いたと見られるタイヤ跡が確認され、実際の発着艦訓練も遠からず実施されるものと推測されるようになった[24]。公式に遼寧でのJ-15戦闘機の発着艦試験が確認されたのは、2012年11月25日の国営新華社通信とCCTVによる報道であった[25]。新華社電によると、発着艦訓練の公開日、2機のJ-15(機体番号552、553号機)が相前後して遼寧に着艦を行い、その後スキージャンプ甲板から発艦試験を実施するまでの様子が記者団に公開された[26]。解放軍報の11月25日付けの報道によると、この日の試験には5名のパイロットが参加しており、連続して発着艦訓練を実施した事が明らかにされている[27]。彼らは、遼寧での発着訓練を実施する前に、陸上に建設された空母発着模擬訓練施設での発着艦訓練、タッチ・アンド・ゴーなど空母での発着に必要な技能の習得およびJ-15戦闘機の操縦特性の把握を行っており、空母での発着艦訓練に備えていた[16]。
2013年2月26日、これまで帰港していた大連ではなく、青島に新しく作られた空母用基地に初入港し、正式に配備された事が確認された[36]。この軍港は、遼寧の停泊と整備・維持のために4年間をかけて建設されたもので、停泊用の埠頭のほかに、水、電気、蒸気、燃料などの補給設備も完備している。
【遼寧の性能について】
遼寧の前身である旧ソ連空母ワリヤーグは、11435型(アドミラル・クズネツォフ級)重航空巡洋艦の二番艦として計画されたが、相応の設計変更が施されたため計画番号は11436型に変更された[6]。11435型と11436型の主な変更箇所は以下の通り[6][28]。
格納庫面積の拡大 | 艦尾の形状を変更して格納庫面積を拡大している[6]。 |
格納庫にターンテーブルを装備 | 格納庫内での艦載機の取り回しを楽にして、搭載機数の増加に効果あり[6](注:ターンテーブルはクズネツォフも装備している)。 |
搭載機数の増加 | 11435型の44機から67機に増加[6]。 |
水上部分の防御構造の変更 | 11435型の鋼-グラスファイバー鋼の多層式[29]から、単装式(100mm厚の装甲)に変更[28]。これにより重量を200t軽減、建造費用を400万ルーブル近く節約するのに成功[28]。 |
全面的なモジュール建造方式の導入 | 船体は1059個のブロックから構成。これは11435型より35%少なく、建造費用の低減と効率向上に資する[28]。各ブロックには各種機器や動力を搭載した後に組み立てられるので、建造中に各種機器を船体に組み込む方式よりも建造効率が向上[29]。 |
燃料等裁量の増加 | 搭載燃料が1,500t増加しており、航続距離は11435型よりも12%増えている[29]。 |
電子装備の変更 | マルス・パッサート型対空捜索用フェイズド・アレイ・レーダーをフォルム-2M型レーダーに変更。フレガートMA(MR-750)3次元対空レーダーをポドベレゾヴィク型レーダーに、カンタタ11435型電子戦装置をソズヴェズディエBR型に変更[6]。 |
これ以外にも、多くの装備やシステムが改良型に変更される予定であった[6]。上記の設計変更に伴い、11436型の満載排水量は11435型より約6,000t増加した58,900tになる予定であった[6][30]。
しかし、前述の通りワリヤーグは完成には至らず、中国に売却された時点では兵装システムや電子装備、航空機運用のための各種設備は未搭載・もしくは撤去された状態であったため、再就役に当たっては中国側で新たに装備を開発・搭載する必要があり、ワリヤーグの設計時とは大きく異なる姿で完成する事になった[11]。
【航空艤装と運用】
ワリヤーグは元々航空機だけでなく、P-700「グラニート」長距離対艦ミサイル(NATOコード:SS-N-19 Shipwreck/シップレック)を飛行甲板前部に装備する重航空巡洋艦だった。重量7tにも達する巨大ミサイルP-700の発射区画は艦内容積を圧迫しており、結果格納庫のサイズの制限から搭載機数を減じる必要があった。中国はワリヤーグを航空機のみ運用する純粋な航空母艦に改装するため、P-700の発射区画を撤去した。P-700発射区画は飛行甲板を支える構造になっているため単に撤去するだけで済ませる訳にはいかず[12][37]、改装工事は船体構造自体に手を加える大規模なものになったものと考えられる。またその他の兵装、レーダー等の電子兵装類も全て撤去され、中国製のものに置き換えられた(後述)。
遼寧は全通の飛行甲板を持ち、その大きさは全長304.5m、最大幅75m、面積約14,700㎡。アメリカのニミッツ級原子力空母と比べると飛行甲板長は30m短く、甲板面積は約80%。艦載機を射出するカタパルトは装備しておらず、フルパワーで自力発進した艦載機を傾斜14度の艦首スキージャンプから発艦させる。カタパルトで発艦させる方式と比べ、スキージャンプによる発艦は機体離陸重量の制限があり、燃料や兵装の搭載に制約を受ける。このためフルペイロードで作戦を行う必要がある場合は、発艦後に空中給油を受けて燃料を満載にする方法が取られる。これは米海軍でも一般的に行われる方法(バディ給油)で、遼寧の主力艦載機になるであろうJ-15艦上戦闘機でも空中給油ポッドと見られる装備を搭載した機体が確認されている[38]。J-15の詳細な性能は不明だが、ほぼ同型機と見られるロシア海軍のSu-33の場合だと、スキージャンプ使用時の最大発艦重量は30t(通常離陸時は33t)で外部兵装最大搭載量は6.5t(通常は8t)となっており、外部兵装を最大限まで搭載すると機内燃料は5.1tしか積めず、逆に機内燃料を満載にすると外部兵装は2.1tしか装備できない[51]。ちなみにJ-15がPL-12中距離空対空ミサイルを6発とPL-8短距離空対空ミサイルを4発装備する要撃任務時の外部兵装重量は約1.5t、YJ-83空対艦ミサイルを2発とPL-8短距離空対空ミサイルを4発装備する航空阻止任務時の外部兵装重量は約1.7tであり、いずれも燃料を満載した状態で発艦が可能という事になる。なおSu-33は艦が航行していない状態(向かい風が無い状態)でも発艦できる。発艦時、艦載機の後ろにジェット・ブラスト・デフレクターを立ち上げるが、遼寧にはアイランド手前に2箇所、さらに後方の4番アレスティング・ワイヤー手前に1箇所、計3箇所設置されている。ブラスト・デフレクターは艦載機のサイズに合わせて、複数の板を必要な枚数起立させる構造になっている。
▽スキージャンプから発艦するJ-15(左)とジェット・ブラスト・デフレクター(右)
着艦は7度左舷側に開いたアングルド・デッキで行う。アングルド・デッキの後部には4本のアレスティング・ワイヤーが設置されており、艦載機のアレスティング・フックをワイヤーに引っ掛けて強制的に停止させる。スキージャンプと合わせて、この発艦/着艦方式をSTOBAR(Short Take Off But Arrested Recovery:短距離発艦拘束着艦)という。アレスティング・ワイヤーを制御する油圧式着艦制動システム(艦内にある)は、高速で着艦する大重量の艦載機をわずか100m程度で制止させる非常に高度なシステム。ワリヤーグが中国へ売却される際に着艦制動システムは取り外されており、ワリヤーグの現役復帰には何らかの手段を使用して着艦制動システム一式を調達する必要があった。中国はロシアからアレスティング・ワイヤを含む着艦制動システムの入手を試みたが、空母関連技術は中国への提供が出来ない戦略武器であるとして拒否され自力でのシステム構築を余儀なくされた[52]。第5次公試の際に同装置が装備されているのが確認され、2012年11月のJ-15による着艦試験において正常に作動する事が立証された。アレスティング・ワイヤーは消耗品であり、100回程度の使用で交換される。アレスティング・ワイヤーを使って着艦できず、タッチ・アンド・ゴーも不可能な場合は、3~4番アレスティング・ワイヤーの間にある強制停止バリアを使用して機体を停止させる。アングルド・デッキ中程には光学式着艦誘導装置、同デッキ後端部にはLSO(Landing Signal Officer:着艦信号士官)指揮所といったCTOL型航空機の着艦に必要な各種装置が配置されている[26]。左舷の中程に位置するフレンネル・レンズ光学式の着艦誘導装置は、アドミラル・クズネツォフが装備しているものと形状が異なっており、中国で開発されたものと思われる。着艦管制は左舷後方にある小さな着艦信号士官用のステーション(プラットフォーム)で行われるが、発着艦と空母上の艦載機の統制は、アイランド03甲板レベルにある航空管制所で行われる。
▽アレスティング・ワイヤー(左)と光学式着艦誘導装置(右)
飛行甲板の右舷側には、艦載機を格納庫から甲板に揚げるためのエレベーターが、アイランドの前(1号機)と後(2号機)に設けられている。舷側エレベーターはソ連空母としてはクズネツォフ級で始めて導入されたものである[29]。ほぼ正方形のエレベーターの大きさは14m×16mで、J-15は主翼を折りたたんだ状態で1機、Ka-28対潜ヘリコプターならローターを畳んだ状態で2機同時に揚降できる。これとは別に弾薬揚降用の小型リフトが4基、飛行甲板中央前部にある。遼寧の艦載機格納庫は1層式で、艦内3フロア分の高さがある。アドミラル・クズネツォフの格納庫のサイズは153m×29m×7.5mで、床面積は約4,500㎡(アメリカのニミッツ級は約6,900㎡)。遼寧の格納庫はワリヤーグ時より拡大されたと言われているが、実寸は今のところ推定するしかない。恐らくP-700対艦ミサイルの発射区画等の整理により、1号エレベーターの箇所までしか無かった格納庫の前端が、さらに前方まで拡張されたものと思われる。ただし前方には武器弾薬用のリフト4基が艦底の弾火薬庫まで船体中心を通っているため、これを避けるように拡張されたとなると少々窮屈な形になっているのかもしれない。ワリヤーグの格納機数は67機が予定されていたので、遼寧の搭載機数も同じか若干多い程度だと考えられる。遼寧に艦載機部隊が搭載された時の機体構成を想像するなら、J-15艦上戦闘機30機前後、Ka-28対潜ヘリコプター8機、Ka-31早期警戒ヘリコプター(もしくはZ-8早期警戒ヘリコプター)4機、捜索救難や物資空輸用のZ-8輸送ヘリコプター4機といったところだろうか。
▽「遼寧」の2号エレベーター(左)と「アドミラル・クズネツォフ」の格納庫(右)
飛行甲板で様々な作業を行うフライトデッキ・クルーは、西側諸国のそれと同じように担当作業によって異なる色のジャケットとヘルメットを着用している。黄色のジャケットは航空機誘導、青はトラクターやエレベーター等での艦載機の移動、緑は航空機とアレスティング・ワイヤなどの確認及びメンテナンス、赤は武器弾薬、紫は艦載機の燃料、白は安全確認をそれぞれ担当する。飛行甲板上ではエンジン音で声が通らないため、やり取りは全てハンド・シグナルで行われる。2009年中国はブラジルとの間で、ブラジル海軍の空母「サン・パウロ」(旧仏空母フォッシュ、排水量33,673t)で訓練を行う事に合意しており、遼寧のフライトデッキ・クルーもサン・パウロで訓練を積んだものと思われる。飛行甲板と格納庫で作業する支援車輌は、エンジンを始動していない艦載機を牽引するためのトラクター、事故を起こした機体を消火するための消防車と、機体を撤去するためのクレーン車が確認されている(公試時にはいすゞ製のトラックも搭載されていた)。恐らくこの他に電源車や清掃車、フォークリフトなども搭載していると思われる。
▽発艦を指示する航空機誘導士官(左)とJ-15を牽引するトラクター(右)
【船体構造】
遼寧のサイズは、全長306.45m(喫水線270m)、全幅75m(喫水線35m)、平均喫水深度10m。改装後の正確な排水量は不明であるが、原型のワリヤーグの場合は、基準排水量43,000t、満載排水量58,900tとなっている[30]。
遼寧の船体は飛行甲板の幅を確保するため、右舷側のアイランドと左舷側のアングルド・デッキを大きく外側に張り出させた形状になっている。艦首はバルバス・バウとなっており、内部にはソナーが収められている。艦底には船体のローリング(横揺れ)を防ぐためのビルジキールが設けられているが、フィン・スタビライザーやアンチ・ローリング・バラストは装備されていない。舵は2枚。艦内は11の防水隔壁によって仕切られており、艦底は全長に渡り二重とされた。艦載機格納庫、機関室、艦載機と自艦用の燃料タンクで大きく占められている。艦載機用ガソリンは約5,800t、自艦用の重油は7,800tを搭載している。燃料タンクと弾火薬庫、機関室はいずれも最下層に設けられており、敵攻撃からの被害を受け難いよう配置されている。舷側の防魚区画の幅は4~4.5m、内部は空所や燃料、清水タンクとして爆発のエネルギーを吸収させる構造が採用されている[29]。これにより、5区画に浸水しても浮力を維持する能力を有している[29]。これらの措置により、クズネツォフ/ワリヤーグの総合的な防御能力は、前級キエフ級重航空巡洋艦の4倍近く向上しているとされている[28]。なお、前述の通り、11436型は軽量化と建造費用節約のため、水上部分の装甲を11435型の鋼-グラスファイバー-鋼の多層式から、単装式(100mm厚の装甲)に変更している[28]。
ワリヤーグでは武器弾薬用リフトの前方にあった作戦指揮所(第3甲板レベル)と情報管制室(第4甲板レベル)が、遼寧ではP-700艦対艦ミサイル発射区画を撤去した箇所に移されたと言われている。艦内には郵便局、スポーツジム、コンビニ、ランドリーなど多様な乗組員用施設が設けられている。艦内の照明は全てLEDとなっている。士官用ランチなどの艦載艇は左舷アングルド・デッキの下部に格納されており、そこからダビットで海面に降ろされる。
ワリヤーグ/遼寧の飛行甲板の形状は、CTOL型航空機の運用能力を持つSTOBAR型空母として、スキージャンプ甲板と、アングルド・デッキを備えたものを採用している。飛行甲板先端部のスキージャンプ勾配は14度である[6]。ワリヤーグでは、スキージャンプ勾配の基点部分に12基のP-700 SSM用VLSが配置されていたが、前述の通り再就役に当たって発射機は撤去され、甲板のVLS開口部は廃止された [11]。
船体左舷中央に大型のアイランドを配置するのは原型を踏襲しているが、電子機器が大幅に変更されたため、艦橋構造に手を加える大規模な改修が実施されたのは前述の通り。アイランド中央の煙突と、その下部に配置された排煙冷却吸気口は原型と変化が見られなかったが、これは遼寧の動力システム系がワリヤーグと変更が無い事を証明する事例の1つと見られている[11]。
ワリヤーグ/遼寧の再就役に当たって最も大きな話題となったのは、同艦が搭載している動力システムの内容であった。ワリヤーグの引渡しに際してウクライナは「ホテルに不要な」機械や設備を撤去したと発表しており、同艦の機関もその際に撤去されたとされていた。機関の無いワリヤーグを中国がどのように復旧するのかは、大きな関心事となっており、一例として軍事情報サイトGlobal Securityの記事では、蒸気タービン技術やガスタービン技術で遅れを取る中国にとっての選択肢は船舶用ディーゼルしか無い。しかし、タービンエンジンに比べてサイズ当りの出力に劣るディーゼルでは十分な出力を確保できず、その最高速度は20ktsに留まるのではないかという予測を提示していた[32]。
しかし、前述の通り、「世界の艦船」2005年4月号に掲載されたアンドレイ・V・ポルトフ氏の記事によると「主機(エンジン)とそれに関連する設備、電気系統はそのままそっくり残っており、切断されたパイプやケーブルなども簡単に再生できる状態だった」[6]とされており、この情報が真実であれば、必要なのは機関の新規調達ではなく修復作業という事になる。ワリヤーグ/遼寧の修復工事を行った大連造船所は、中国の造船所の中では蒸気タービンやボイラーに関する経験が最も豊富な会社であり[33]、同造船所がワリヤーグの蒸気タービン機関の修復を担当するのは辻褄が合っている。2013年4月には、遼寧の機関修復工事に関する報道において、最初の試験航海において最大負荷での機関試運転を実施した事、その際に蒸気タービンやボイラーによって航行を行っているとして、遼寧の機関がワリヤーグと同じ蒸気タービン機関である事が明らかにされた[34][35]。2013年8月の報道では、遼寧の機関は、原型よりも安全性を向上させ、ボイラーの始動に必要な時間を短縮するなどしてボイラー圧の低下を抑制した事、元々の設計ではタービンを回転させた後の蒸気を冷却して水に戻す復水器の冷却水パイプやバルブに水漏れ箇所が生じた場合、蒸気冷却用の海水が養缶水に混ざってボイラーに運ばれかねない問題があったが、設計変更によりリスクを低減する改良が施されている事が伝えられた[16]。もとより、建造中止後10年間放置されていた機関を元通り修復できるのかというのは大きな問題で、遼寧が原型通りの出力を回復しているか否かが大いに注目されていた。これまでの洋上試験では航空機の運用を問題なくこなしており、参考資料[16]では29kts前後の速力を回復していると見ている。機関の最大出力テストも実施している事などから、この判断には一定の妥当性があると考えられる。各装備の動力となる電気は、艦内で約14,000kwの発電能力によってまかなわれている。
▽艦橋(左)と下士官兵用食堂(右)
右舷中央にある艦橋と煙突、マストが一体化した巨大なアイランドは9レベルで構成されており、各種アンテナ類もここに集約されている。外観は、ワリヤーグと大きな変更は無い様に見えるが、改装工事では艦橋部分の半分を撤去した上で新規構築するという大規模な工事を行っているので、内部構造は大きく変更されたものと思われる。ワリヤーグは、電子装備を未搭載の状態で中国に引き渡された事もあって、艦橋構造物上の電子装備は殆どが中国製のものに置き換わっている。アイランド最前部03甲板レベルにある艦橋の後方には、346型APAR(Active Phased Array Radar:能動型位相配列レーダー)アンテナが前方と左方の2面に貼り付けられている[16]。その後ろにはワリヤーグには無かった塔型マストが設置され、そのトップに382型3次元対空レーダーが装備されている。マストの後方は機関室からの巨大な煙路がアイランドを貫通しており、上方の煙突から排気される。アイランド後部には後方及び右方用の346型APARアンテナ2面と、艦橋と同じ03甲板レベルに航空管制所が設けられている。アイランド内後部の01~02甲板レベルには艦載機搭乗員とフライトデッキ・クルーの待機所があり、一部士官の居室もアイランド内前部にあると思われる。
【装備】
遼寧の兵装は原型のワリヤーグと比較するとかなり控え目で、自艦を守る最低限の装備になっている。対空兵装として個艦防空用のHQ-10近接対空ミサイルと1030型30mmCIWS(Close in Weapon System:近接防御火器システム)を装備している。米レイセオン社のRAM(RIM-116)によく似たHQ-10は射程約10kmの赤外線+無線誘導型ミサイルで、18連装発射機を艦前部両舷に各1基、艦後部左舷に1基の計3基設置している。1030型30mmCIWSは遼寧のために新規開発されたCIWSで、銃身を10(11門説もあり)にする事で、単位時間当たりの発射段数を増加してストッピングパワーを高めている。遼寧は左舷前部に1基、艦後部両舷に各1基の計3基の1030型CIWSを設置している。対潜兵装としてRBU-6000 212mm12連装対潜ロケット発射機を艦尾両舷に1基ずつ計2基装備する。その他の防御兵装として、726型24連装デコイ発射機を艦尾両舷に1基ずつと左舷中央に2基の計4基、16連装デコイ発射機を右舷中央に2基装備している[16]。
▽1030型30mmCIWSとHQ-10近接対空ミサイル(左)、16連装チャフ・デコイ発射機(右)
電子兵装も前述の通り、ワリヤーグから一新されている。アイランド4面には052C型駆逐艦と同じ346型APAR(Active Phased Array Radar:能動型位相配列レーダー)のカマボコ型アンテナ・カバーが装備されており、マストトップには382型3次元レーダーが装備されている。このほか、364X(K)型対空/対水上レーダー、デジタルデータリンク用レドーム、衛星通信用アンテナ、航空機管制用レーダー、電子戦装備用アンテナ、航海レーダーなど各種電子装備が艦橋に搭載されている。アイランド後部に並列で配置されている丸型アンテナは、火器管制レーダーという説と航空機誘導用装備との2つの説がある。
遼寧は、HHQ-9艦対空ミサイルを装備していないのに052C型駆逐艦と同じ346型APARを搭載する件については、艦載の固定翼早期警戒機を保有していない状況では、346型の高い対空監視能力を持ってその欠を補う必要があるという説、また空母に必要な周辺空域の航空機の位置情報を探知するためにも346型の能力は有効であるとの説などが挙がっている[39]。
【訓練と人員】
中国海軍航空隊は遼寧省葫芦島市緩中県に空母への発着艦を想定した訓練基地を作り試験を行ってきた。この基地はカタパルト発進や着艦訓練が可能であり、中国で解体した豪空母メルボルンを参考に作られたといわれている。この基地で運用するため開発されたのがJ-8II戦闘機艦載試験型である。この基地での最初のカタパルトによる離陸は、1987年4月7日に李国強操縦士によって行われた[40]。2013年3月現在、この基地は2つの模擬スキージャンプを持つ大規模な空母艦載機訓練センターとなっている。
中国海軍は2006年10月、海軍副司令を団長とする大規模な調査団をウクライナに派遣、オデッサとセバストポリにあるウクライナ海軍航空隊訓練センターの視察を行った。視察ではクリミア半島のサキ市近郊にある航空母艦の艦載機搭乗員向けの訓練施設「ニートカ」において、陸上での空母発着艦模擬施設のノウハウや訓練方法などの情報収集が行われ、ウクライナの支援の可能性について話し合いが行われた。これ以降、中国は複数回に渡って海軍関係者、パイロット、技術者をウクライナに派遣して技術導入に努めた[41]。ニートカで得られた情報との関連性については不明であるが、陝西省西安にある閻良飛行場では航空母艦のスキージャンプ甲板を模した施設が建設され、2008年にはこの施設を使用してSu-27の離陸実験が行われた[42]。
これらの訓練施設の構築に続いて、中国海軍は2008年から将来の空母パイロット候補として海軍関係者や海軍航空隊部隊から50名を選抜、大連海軍艦艇学院で艦載機パイロットの養成課程を開設した。4年間の訓練では自動化技術、操縦技術、艦上勤務のノウハウ、飛行や航空機のシステムなどについて学習を行い、その後飛行訓練に入って艦載機の任務に必要な訓練を積んだ[43][44]。ウクライナのオデッサにある海軍航空隊訓練センターで学んだ中国海軍幹部が候補生の教育に当たっており、ロシアからも講師を招いているとの事[45]。また先述のように中国はブラジルと空母サン・パウロでの訓練に合意しており、中国人パイロットも(おそらくブラジル海軍のA-4スカイホークに乗り込んで)着艦訓練をサン・パウロで行ったものと思われる。
▽陝西省西安閻良飛行場の模擬スキージャンプ(左)とブラジル空母「サン・パウロ」(右)
また中国海軍は空母の艦長となるべき人材の育成を1980年代から着手していた。この際、中国海軍ではアメリカ海軍が作戦運用面を考慮して、空母の艦長は艦載機パイロット出身者から選抜している方式に注目した[43][44][46]。アメリカ海軍では、空母の艦長は艦載機パイロットとして空母航空団の司令などを務め、飛行時間3,500時間以上、空母への発着艦1,000回以上を経験。その後海軍の原子力計画要員として空母の運用や原子炉などについて実地で学習し、幅広い知識を身につけたうえで空母の艦長になる。1人の空母艦長が育成されるにはアナポリス(アメリカの海軍大学)を卒業後、25~30年という長い月日を要している[46]。中国は1987年5月、広州艦艇学院に「飛行員艦長班」を開設、海軍航空隊の優秀なパイロットから選抜された要員を水上艦艇の指揮官として教育する3年間の教育コースを立ち上げた。これによって航空機と艦艇の双方に精通した人材を養成し、将来の空母の艦長となりうる候補者とするというのがこの機関の目的であった。1,000人の候補者から10人が選抜され、飛行員艦長班での教育を開始した。3年半後、9名が教育コースを卒業して、各地の駆逐艦やフリゲイトでの勤務に付いた[44]。しかし遼寧の初代艦長である張峥上佐(上級大佐)は、このコースの出身者では無い。
【今後の動向】
空母機動部隊を実際の戦力として運用するには、長い時間と多額の経費を必要とする。空母部隊の編制に必要な額について、2010年に空軍上佐がコメントしている。それによれば、中国において6~7万t級の通常動力型空母の建造に必要な予算は20億ドル(約1,800億円)、艦載機部隊の整備に30億ドル(約2,700億円)、護衛艦を含めた空母部隊1個の編制に100億ドル(約9,300億円)が必要で、空母部隊の年間の維持費は16億ドル(約1,400億円)になり、その程度の額は世界第2位である中国の経済力にとって、さほど大きな負担にならないという。しかし中国の発表によれば2012年の国防予算は約6,500億元(約9.6兆円)なので、上佐の言う額を真に受けるなら、それは明らかに予算を圧迫する巨額である(実際の国防予算は発表される額の倍近いとも言われるが)。中国が有力な空母部隊を複数個編制するためには、それだけの予算を長期間投入し続けねばならない。参考として挙げると日本のひゅうが型の建造費は約1,000億円、フランスのシャルル・ド・ゴール級は約4,200億円、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ(ニミッツ級)は約5,800億円と言われている。
中国海軍内部でも巨額の費用を要する空母保有計画について、空母保有論者と潜水艦優先論者との間でその是非をめぐって論争が行われたという。潜水艦優先論者は、米空母部隊を牽制するために空母で対処する必要性は乏しく、潜水艦は戦略抑止力になり、台湾近海の使用拒否(Sea Denial)、戦略縦深の拡大、沿岸防衛、長距離攻撃と幅広い任務に使用可能であると主張していた[47]。これに対して空母保有論者は、日米海軍の対潜能力は強大で、潜水艦の魚雷やミサイルでは空母を撃破出来ない。海上作戦には航空機によるエアカバーが不可欠である。台湾東方に空母を展開すれば、台湾を東西から挟撃でき、米海軍の来援も阻止できる。潜水艦では、洋上でのプレゼンス、プレステージを示しえない。制空権と制海権を確保し戦略抑止力となるのはやはり空母である、と主張したとされる。この海軍内部での論争は、最終的には空母保有派の意見が採用されたとも伝えられている[48]。
遼寧の再就役後の動向について、中国海軍副司令である張永義中将が2013年3月に全国人民代表大会に出席した際にその一端を明らかにしている[49]。中将は、遼寧の試験航海の総指揮を執っており、遼寧の再就役後の状況を良く知り得る立場にある。中将によると、遼寧はこの時点で合計12回の試験航海を実施し、①空母プラットフォームの建設、②艦載機試験基地の建設、③艦載機の発着艦試験、④艦載機搭乗員の訓練という四大任務を完了した。2013年は、さらに段階を進めて、①艦載機の発着艦技術の訓練、②将来の作戦と訓練に求められる各種配置訓練を実施。この二つの項目が完了した後、遼寧は訓練段階を完了して作戦任務に就く事が可能となると述べている。
遼寧の立場については、練習空母と見なされる事が多いが、上の発言を見ると空母の建造技術と運用ノウハウを構築するためのテストベッドとしての役割を果たした後の戦力化までが視野に入っている事が窺える。漢和情報センターの平可夫氏は著書『中国航母與中国海争端』において、遼寧の修復が単なる発着艦訓練用ではなく、空母としての全機能を復活させる大規模なものである事を指摘しており、これは将来の国産空母建造に必要な技術習得を目的としたものであり、そのためには遼寧は一定程度の実戦能力を有する空母として復元される必要があったと中国海軍の意図を分析している[50]
中国海軍の計画はロシア、イギリス、フランスのように1~2隻の空母保有で終わる可能性もあるが、それだけでも周辺国に軍事的プレゼンスを誇示するには充分といえる。だが、一隻のみでは平時の訓練や整備のローテーションを考えると、戦力として機能させるには限界があり、空母機動部隊を有効に機能させるには複数の空母を保有する事が望ましい。これに関して、中国軍総装備部科術委員会副主任の徐小岩中将は、中国は長大な海岸線を保有しており、一隻の空母では中国の基本利益を保証する事は出来ない。そのため、個人的な見解として中国は少なくとも4隻の空母を保有する必要性があると述べている[49]。
遼寧は現状では空母運用のノウハウを構築する一連の過程にあり、現時点では周辺国の直接脅威とはなり難い。中国海軍の空母保有に向けた動きは、1つ1つの段階を着実にクリアしていく慎重さが特徴であり、多額の経費と時間を必要とする過程なのでそのペースが急に速まる事は現時点では考えにくい。しかし、中国が今後、遼寧の運用を通してノウハウを蓄積していけば、長期的には国産空母(001A型という名称が噂されている)の建造や国産艦載機の量産、052D型駆逐艦のような直衛艦や補給艦の充実、空母単独ではない空母機動部隊としての運用体制構築といった経過を経て、時間は掛かるものの有力な空母部隊を編制する事は間違いないだろう。遼寧の就役は、中国が描く空母部隊計画のマイルストーンのひとつに過ぎないと言える。
■性能緒元(ワリヤーグからの推定)
基準排水量 | |
満載排水量 | 5~6万トン級 |
全長(水線長) | 270.0m |
全長(飛行甲板長) | 304.5m |
全幅 | 75.0m |
喫水 | 10.5m |
主機 | 蒸気タービン 8缶4基4軸 |
速力 | 29kts |
航続距離 | 12,000nm/20kts |
連続航行日数 | 45日 |
乗員 | 約2,000名 |
【兵装】
対空ミサイル | HQ-10近接対空ミサイル/18連装発射機 | 3基 |
対潜ミサイル | RBU-6000 212mm12連装対潜ロケット発射機 | 2基 |
近接防御 | 1030型30mmCIWS | 3基 |
【電子兵装】
3次元対空レーダー | 346型 | 4基 | |
382型(海鷹S/C型) | 1基 | ||
対水上レーダー | |||
火器管制レーダー | SAM用? | 2基 | |
航海レーダー | 1基 | ||
戦闘システム | |||
データリンクシステム | |||
ECMシステム | |||
デコイ発射機 | 24連装発射機 | 4基 | |
16連装発射機 | 2基 | ||
バウ・ソナー | |||
ハル・ソナー |
【艦載機】(推測)
戦闘機 | J-15艦上戦闘機 | |
早期警戒ヘリコプター | Ka-31早期警戒ヘリコプターもしくはZ-8早期警戒ヘリコプター | |
対潜哨戒ヘリコプター | Z-9C対潜ヘリコプター(直昇9C/AS-565パンサー)もしくはKa-28対潜ヘリコプター(ヘリックスA) | |
捜索救難・輸送ヘリコプター | Z-8ヘリコプター(直昇8/SA-321Jaシュペル・フルロン) |
■同型艦
1番艦 | 遼寧 | Liáoníng | 16 | 1985年12月起工、1988年11月進水、1992年3月建造中止。2002年3月3日中国到着、2012年9月25日就役 | 北海艦隊所属(中央直属との説も) |
▼2010年7月26日に撮影された、大連で艤装工事中の「遼寧」
▼「遼寧」の右舷側にはアイランド、艦載機用エレベーター、重量物搭載用クレーンなどがある。左舷中央にある黒い板状のものは光学式着艦誘導装置の裏面
▼後方から見た「遼寧」。HQ-10対空ミサイル発射機の前方に着艦信号士官用ステーションが見える
▼【参考】各国の航空機運用艦の比較
▼「遼寧」就役時の特集動画
▼J-15艦上戦闘機の発着艦試験の動画
▼【参考】旧ソ連のニートカと「アドミラル・クズネツォフ」での発着艦試験の動画。中国もこのように地上試験の後「遼寧」での発着艦試験に到ったものと思われる
【参考資料】
[1]MDC軍武狂人夢「中國航空母艦發展歷程與未來」
[2]仲一平「中国の空母建造の夢が実現するか。」(鏡報月刊 2005 年 5月号「軍事脈搏」)
[3]劉華清『劉華清回憶録』(解放軍出版社/2004年)477~478ページ
[4]劉華清『劉華清回憶録』(解放軍出版社/2004年)480ページ
[5]竹田純一『人民解放軍-党と国家戦略を支える300万人の実力』(ビジネス社/2008年)338ページ
[6]アンドレイ V. ポルトフ「元ロシア空母「ワリヤーグ」が中国空母に!?」『世界の艦船』2006年3月号(海人社)148~153ページ
[7]アンドレイ V. ポルトフ「ソ連/ロシア空母建造秘話5」『世界の艦船』2005年4月号(海人社)154~161ページ
[8]余田計「中国製空母は出現するか」『世界の艦船』1995年7月号(海人社)90~93ページ
[9]咚咚「龍象之争-中印海軍航母発展差導談」『艦載武器』2012年12月号/No.160(中国船舶重工業集団公司)18~25ページ
[10]陸易「まもなく動き出す中国の改造空母「施琅」と国産空母」『世界の艦船』2011年8月号(海人社)120~125ページ
[11]竹田純一「どう再生された空母「ワリヤーグ」-中国誌が伝える改造の技術的内幕」『世界の艦船』2011年11月号(海人社)147~153ページ
[12]旧ロシア・ソ連海軍報道情報管理部機動六課「撃たれて・・・みるか?・・・ウィキぺディアで笑うIP野郎!」(2009年3月5日)
[13]峯村健司「中国の訓練用空母、主要部分が完成 旧ソ連艦を改修」(2009年5月1日/asahi.com)
[14]China Air and Naval Power「Work on Varyag」(2009年8月27日)、「Latest pictures from PLAN」(2009年9月5日)
[15]時事通信「中国、初の空母訓練開始へ=国防省が公表、旧ソ連製改造」(2011年7月27日)
[16]MDC軍武狂人夢「遼寧號(瓦良格號)航空母艦」
[17]峯村健司「中国訓練用空母で完成式典 共産党高官も視察」(2011年8月4日/ asahi.com)
[18]陸易「中国海軍が構想する空母オペレーションの現実味」『世界の艦船』2012年9月号(海人社)116~119ページ
[19]新浪網「我航母平台第9次海试返回 时间创纪录达25天」(2012年7月30日)
[20]新浪網官方媒体公开中国航母平台第十次海试出航图」(2012年8月27日)
[21]新浪網「中国航母第十次海试结束 创下时长最短纪录」(2012年8月31日
[22]竹田純一「海上自衛隊vs中国海軍-シーパワーの「実」と「虚」」『世界の艦船』2013年1月号(海人社)133~139ページ
[23]鳳凰網「甲板直击:中国第一艘001型航空母舰正式交付海军」(2012年9月25日)
[24]新浪網「中国海军16号航母甲板上拦阻索前方出现轮胎印迹」
[25]北京共同「中国、空母着艦の試験成功を確認 国営メディアが報道」(2012年11月25日)
[26]記者:陳万軍・呉登峰、責任編集:楊雷「高清:我航空母舰顺利进行歼—15飞机起降飞行训练」(新華網/2012年11月25日)
[27]李選清「我航空母舰出海训练和科研试验迈出关键一步 歼-15在“辽宁舰”顺利起降」(中国国防部公式サイト:元ニュースは解放軍報/2012年11月25日)
[28]銀河「“瓦良格”号航母的技术特点」『艦載武器』2011年09月号/No.145(中国船舶重工業集団公司)27~33ページ
[29]アンドレイ・V・ポルトフ「ソ連/ロシア空母建造秘話〈最終回〉」『世界の艦船』2005年5月号(海人社)110~118ページ
[30] Сайт «АТРИНА» • Боевые корабли СССР и России • 1945-2005 гг「Сайт «АТРИНА» • Тяжелый авианесущий крейсер пр.11436, «Варяг» типа «Рига», Kuznetsov mod. class」
[31]平可夫『中國航母與中國海爭端』(漢和出版社/2012年)122ページ
[32]Global Security「Aircraft Carrier Liaoning」
[33]平可夫『『中國製造航空母艦』(漢和出版社/2010年)205ページ
[34]中華網「中国航母主机锅炉蒸汽丝毫泄露皆能瞬间洞穿人体」(2013年4月19日)
[35]新華網「中国航母年内将择机远航 3千舱室曾让舰员迷路」(2013年4月19日)
[36]新華網「我国首艘航母辽宁舰首次靠泊新建成的航母军港」(2013年2月27日)
[37]小飛猪「重生的“瓦良格”」『艦載武器』2011年09月号/No.145(中国船舶重工業集団公司)48ページ
[38]飞扬军事「歼15挂的什么?」(2013年9月21日)
[39]小飛猪「重生的“瓦良格”」『艦載武器』2011年09月号/No.145(中国船舶重工業集団公司)44~52ページ
[40]大旗網「中国航空母艦起飛着艦試験第一人-李国強」
[41]UPI通信「Ukraine to help train China's navy pilots」(アンドレイ・チャン/2008年12月5日)
[42]Global Security「Yanliang Airbase - China Military Forces」
[43]軍事研究2009年3月号「Military News-中国-艦載機パイロット訓練プログラムを始動」(ジャパン・ミリタリー・レビュー)172頁。
[44]新浪網「中国已儲備9名航母艦長 飛行員在国外訓練」(2009年5月22日)
[45]峯村健司「中国、初の空母建造」(2008年12月30日/朝日新聞)
[46]軍事研究2009年9月号「米国防総省年次報告『中国の軍事力』を読む-海軍力増強に警戒感」(稲坂硬一/ジャパン・ミリタリー・レビュー)39-49頁。
[47]竹田純一『人民解放軍-党と国家戦略を支える300万人の実力』(ビジネス社/2008年)339頁。
[48]軍事研究2009年9月号「米国防総省年次報告『中国の軍事力』を読む-海軍力増強に警戒感」(稲坂硬一/ジャパン・ミリタリー・レビュー)46頁。清水美和『「中国問題」の核心』(ちくま新書801/2009年)192頁。
[49]新浪網「辽宁舰总指挥:一支新的舰载机部队将加入海军」(2013年3月8日)
[50]平可夫『中國航母與中國海爭端』(漢和出版社/2012年)106ページ
[51]旧『ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課』(Yahooブログ)「スキージャンプ(STOBAR)とSu-33」
[52]平可夫『中國航母與中國海爭端』(漢和出版社/2012年)108ページ
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