2014年11月3日月曜日

69式戦車(WZ-121)

▼最初の生産型である69式戦車(WZ121)。防盾上のレーザー測距機の形状が69II式戦車とは異なる。暗視装置の装備方法は何種類かのバリエーションが存在した。


▼主砲を59式100mmライフル砲に換装した69II式戦車(BW-121A)。69式シリーズの標準型となる。

▼湾岸戦争で多国籍軍に捕獲されたイラク軍の69IIA式戦車(BW-121A)。レーザー測距機を搭載していない廉価型。

▼83式105mmライフル砲を搭載した改良型、69IIM式戦車(WZ-121H)。(C) 坦克装甲車両 2004年5月号(総第219期)

▼新生イラク軍で運用される69IIA式戦車(BW-121A)

▼バングラデシュ軍で運用される69IIA式戦車(BW-121A)。69IIM式戦車(WZ-121H)水準にアップグレードされている。

▼69式の主砲を軽量型125㎜滑腔砲に換装した69IIG式。59式戦車や69式戦車の海外ユーザー向けに提案された。


■"性能緒元"(69式 WZ-121)
全備重量36.5トン
全長9.125m
車体長6.002m
全幅3.27m
全高2.457m(機銃含まず)
エンジン12150L-7水冷ディーゼル 580hp
最高速度50km/h
路外平均時速22~27km/h
燃料搭載量935l
航続距離420~440km
渡渉深度1.4m
武装69式100mm滑腔砲×1(44発)
 54式12.7mm重機関銃×1(500発)
 59式7.62mm機関銃×2(3,000発)
戦車砲俯仰角-5~+18度
装甲150~203mm(砲塔)/79~97mm(車体前面)
乗員4名

69II式戦車性能緒元
重量36.7トン
全長9.22m
全幅3.27m
全高2.4m
エンジン12150L-7BW水冷ディーゼル 580hp
最高速度50km/h
航続距離440km
渡渉深度1.4m
武装59式100mmライフル砲×1(44発)
 54式12.7mm重機関銃×1(500発)
 59式7.62mm機関銃×2(3,000発)
装甲150~203mm(砲塔)/79~97mm(車体前面)
乗員4名

中国では、T-54Aのライセンス生産版である59式中戦車の大量生産が本格化した1963年から、59式戦車をベースにした次期新型中戦車に関する研究が開始された。この研究は、中央軍事委員会装甲兵科や産業指導機関である第五機械工業部の第60研究所、201所、617設計所(内モンゴル包頭の617工廠所属の研究所)、装甲兵科学技術研究院の研究機関等の機関が連合して行われた。1963年には関係部署に新型中戦車の達成すべき戦術・技術的項目が提示された。その中では、次期戦車には、貫通力の高い新開発の100mm滑腔砲が採用され、砲安定装置や射撃統制システムによる高い命中精度を実現することが指示された。翌64年には、初歩的な設計が完成し、それに基づいて1965年には設計案が第五機械工業部の承認を受け制式に新型戦車の開発が開始された。この戦車は、生産番号WZ-121が付与されることになった。1966年には、WZ-121の最初の試作車両が製作された。しかし、同時期に発生した文化大革命による混乱によって新型中戦車の開発作業は遅延を余儀なくされた。1968年には開発作業が再開され、技術者達は全体的な設計作業を完了させ、それを基にしたコンポーネントと車体の製作作業を行い、2台目の試作車「68G試作車」が製作された。この車両を使用して車両走行試験と部分項目試験が実施された。

1969年3月には、開発中の新型中戦車に大きな影響を与える事件が発生した。珍宝島/ダマンスキー島をめぐる中ソ両国による武力衝突の最中に、1両のソ連製T-62中戦車が中国軍によって捕獲されたのである。捕獲されたT-62は、8月には北京に到着し研究機関による分析作業が実施された。T-62は、国際的に孤立していた当時の中国の戦車開発技術陣にとっては貴重な技術的モデルとなるものであり、T-62の分析はソ連戦車の先進的な設計方法を学ぶ手本となり、暗視装置や寒冷時のエンジン強制始動装置など各種コンポーネントの複製・国産化が図られることになった。特にT-62戦車のU-5TS 115mm滑腔砲は、69式戦車や73式100mm対戦車砲の100mm滑腔砲や122型戦車(WZ-122)の120mm滑腔砲の開発を推進するためのモデルとなり、1970~80年代の戦車砲開発で重要な位置を占めることになる。

ソ連との国境紛争では、従来の中国軍の対戦車火器の多くがT-62の正面装甲を貫通することが出来ず中国軍は苦戦を強いられた。その戦訓から、1969年8月には国務院と共産党中央軍事委員会が主催する反坦克武器科研生産会議が開催され、各方面の総力を挙げて対戦車兵器の開発を行うことが決定された。難航していたWZ-121の開発は、T-62に対抗しうる戦車を速やかに実用化するため、最優先で推進されることとなった。20を超える組織から編成される「69式坦克科研会戦組」がWZ-121の開発を共同で実施することとなった。そして、T-62の分析によって得られた技術を反映した改良が施されることになり、計11箇所の重大な設計変更が実施された。1970年2月には、この改良を施した試作車3両が完成し、性能実証試験の結果、要求された各種水準を満たす性能であることが証明された。同年、第五機械工業部はWZ-121の量産を指示するが、これは拙速に過ぎる判断であり、各種コンポーネントの技術的成熟には尚時間を要することが判明したため、生産命令は中止された。1971年、第五機械工業部は先の生産命令を取り消し、WZ-121の各種コンポーネントの内、信頼性を確保できない部分に関しては既存の技術で製作されたものに代替すること、さらに、設計の簡易化や見直しを行い、速やかに国産主力戦車を実用化することを指示した。この指示を受けてWZ-121の実用化に向けた作業が行われ、軍事委員会装甲兵科と第五機械工業部による設計案承認と装甲兵科での採用試験を経た上で、1974年3月2日、WZ-121は「1969年式中型坦克」として制式採用されることになった。

69式戦車の基本的な性能や車体構成は、59式戦車の構造を踏襲している。車体は溶接鋼板で、砲塔は鋳造鋼板で製造されている。乗員は4名で、操縦手が車体前方左側、車長と砲手が砲塔左側、装填手が砲塔右側に位置するのも59式戦車と同様であるが、この配置では車体左部を貫通された際に操縦手、砲手、車長の3名が同時に戦死する危険性を有していた。車内には44発の100mm砲弾が搭載されている。配置場所は車体前部右側の燃料タンクと一体化した砲弾ラックに19発、エンジン部隔壁前に12発、車体左側側面に2発をベルトで固定、即応弾として砲塔内部の側面右側に4発、砲塔後部に5発がベルトで固定されている。

69式戦車が採用した69式100mm滑腔砲は、APFSDS(翼安定式装弾筒付徹甲弾)、HEAT-FS(翼安定成型炸薬弾)、HE-FS(翼安定榴弾)の3種類の砲弾を運用することが可能。APFSDS弾を使用した場合の砲口初速は1,490m/s。しかし、69式100mm滑腔砲は、軍が要求した通りの性能を発揮することが出来なかった。APFSDS弾の有効射程は1,000mに留まり、それ以上の射程では命中率が大幅に低下することになったのである。これは当時の中国の工作精度の問題に起因すると推測されている。APFSDS弾の安定した飛翔には弾体の精密な加工が不可欠であり、T-62のBR-5 HVAPFSDS(高初速翼安定式装弾筒付徹甲弾)も近距離では高い命中精度を発揮したものの、砲弾の加工精度の問題からその有効射程は1,500mに留まっている。ソ連に比べても工作精度技術で遅れをとっていた当時の中国にとって、同様の問題に見舞われるのは避けがたいことであったといえる。副武装としては、砲塔上に対空・対地兼用の54式12.7mm重機関銃×1、59式7.62mm機関銃が主砲同軸と車体前面に固定装備されていた。

69式戦車の射撃統制装置は、それまでのスタジアメトリック式に変わって、中国戦車として初めて射撃統制システムを採用している。射撃統制システムは、レーザー照準装置、砲手用ペリスコープ(暗視装置付)、車長用キューポラの昼夜兼用ペリスコープ、主砲同軸の69式100毫米滑腔坦克砲砲手砲照準器から構成されている。主砲防盾右側に搭載されたレーザー照準装置は、300~5000mの照準能力を有し、照準精度は+-10度、1分間に7回照準が可能。レーザー照準装置の採用により、69式戦車はそれまでの59式戦車に比べ照準精度を大幅に向上させることに成功した。ただし、射撃統制システムとしての自動化はまだ十分では無いので発射速度の劇的な向上までは達成し得なかった。59式戦車は水平軸のみの砲安定装置を搭載していたが、69式戦車では水平/垂直二軸の安定装置に変更され、射撃精度を向上させるのに効果を挙げている(実際には完全な行進間射撃は困難で、停車-射撃-機動の方法をとるのが普通であったが、ある程度安定化されているため照準時間を短縮するのには効果があった。)69式戦車は中国戦車で初めて夜間射撃用の赤外線夜間暗視装置を装備した戦車でもあった。これは、1969年に捕獲したT-62に搭載されていた暗視装置をベースに国産化したものである。暗視装置のシステムは、赤外線を照射し、対象から反射する赤外線を検出するアクティブ赤外線方式で、赤外線サーチライトはレーザー照準器側面と車長用キューポラに搭載され、車長用ペリスコープと砲手用ペリスコープに赤外線検出機能が組み込まれた。砲手用ペリスコープの夜間最大視認距離は800m、倍率は7倍。車長用ペリスコープは昼間の倍率5倍、夜間の視認距離は400m。

69式戦車のエンジンは、59式の12150L水冷ディーゼル(520hp)の出力向上型である12150L-7(580hp)が搭載された。12150L-7には、T-62が採用していた圧縮空気による寒冷時のエンジン強制始動装置が採用されていた。69式戦車では、操縦手がエンジンの燃料供給系統の操作を走行中に行えるように操作パネルを操縦席前方に持ってきており、燃料系統の調整を便にしている。懸架装置はトーションバーサスペンションに、上部支持輪のないクリスティー式、キャタピラはソ連式のシングル・ピン式なのは59式戦車と共通である。69式戦車の装甲は、基本的には59式戦車のそれを踏襲している。車内には携帯式半自動消火器2基、手提げ消火器1基が装備されていた。間接的な防御用には、発煙弾発射機2基が装備された。車内の配置基本的には59式戦車を受け継いでいるが、砲塔下部に中国戦車としては初めてターンテーブルを設置し砲弾装填にかかる負担を軽減している。これは、以後の中国戦車に受け継がれていく事になる重要な装備の1つである。通信機はA-220A型通信機とA-221A型車内通話機を装備しており、平坦地で停車中の交信可能距離は25kmとされている。

69式戦車の生産と部隊配備は1978年から開始された。その存在が西側諸国に知られるようになったのは、1982年の革命記念軍事パレードに登場した時であった。69式戦車は、59式戦車に比べると各種の新機軸を取り入れたことでソ連のT-55相当の能力を有する様になったと評価されている。ただし、69式100mm滑腔砲の命中精度不良の問題は69式戦車の制式採用後も未解決の課題として存続していた。69式戦車の配備開始からまもなく、中国軍では69式戦車の大量配備という当初の計画を中止すること、そして69式戦車の主砲問題を解決するための改良型が開発されることが決定された。そのため69式戦車の生産は200~300両程度で終了することになった。この内、150両ほどがイラクに、少数がバングラデシュに輸出されたとの情報もある。69式戦車は現在では中国軍の現役装備から外れていると見られている。

最初に開発された69式戦車の改良型は、69式戦車の100mm滑腔砲を59式戦車の59式100mmライフル砲に換装した69II式戦車(BW-121A)であった。開発は617研究所の聶玉峰所長、主席技師慶発、賈沛徳技師の指導の元、617設計所、61研究所、474研究所などの協力により行われ、1981年には設計作業が完成、翌82年から生産が開始され、1983年に制式採用された。

69II式戦車は、15項目の設計変更が加えられ、火力と防御面の性能向上が図られた。59式100mmライフル砲は火力を強化するために、西側から導入した技術を元に中国が開発したAPFSDS-T弾が新たに運用可能となっている。APFSDS-T弾の砲口初速は1,415m/s。69II式戦車の生産と輸出を担当するNORINCOによると、69II式戦車はソ連のT-55戦車の全ての砲弾を使用することができるとのこと。100mm砲は水平/垂直方向に安定化された目標追随型スタビライザを装備しており、TSFCS-Cと呼ばれる中国開発の簡易式射撃統制システムが搭載されている。このシステムはTLR1Aレーザー測距器(82式/S-83-II)やBCLA弾道計算機、TGS-A昼夜兼用照準器等から構成されている。レーザー測距器の探知距離は300~5,000m。照準精度は+-10度。射撃時には、目標距離、弾種、気温(-40~50度)、炸薬温度(-40~50度)、横風(+-20m/s)、砲身磨耗率、高低/方位/傾斜角などの諸元を基にして弾道計算を行う。諸元計算に要する時間は最速0.3秒で、砲手は出力された数値に従って戦車砲を操作して射撃を行う。弾道計算機の照準距離は200~3,990mとなっている。夜間暗視装置は69式戦車と同じアクティブ式赤外線暗視装置に加えて微光増幅式のものが追加されている車両もある。昼夜兼用サイトは砲手用(TGS-C)と車長用からなっており、砲手用は300~3,000m(昼間)、800m(夜間。倍率7倍)、車長用は500m(倍率6倍)の夜間有効照準距離を持っている。パッシブ式だが、この数値では暗視性能2000m以上のサーマル視察・照準装置を持った西側戦車に対しては分が悪い。この新型射撃統制システムにより、69II式戦車は69式に比べて攻撃力をさらに向上させることに成功した。なお、輸出向けの69II式戦車では、コスト削減のためにレーザー測距器などの射撃統制装置を装備していない車両も存在する。

エンジンは、12150L-7の改良型である12150L-7BWが装備された。トランスミッションにはT-62戦車のものを参考にしたAK-150気圧パワーアシスト付きシンクロ・スタティックメッシュ方式が採用され変速時の操作性を向上させている。通信装置は武漢有線電廠が開発した889型通信機と803型車内電話が搭載された。通話半径は最大25km。新型の自動消火装置や排気部を利用した煙幕発生装置、加圧式NBC防御装置も新たに採用された。自動消火装置は、全自動式と半自動方式を選択可能で、火災を探知してから3~5秒以内で作動する。消火瓶は3本装備されており1瓶で10~15秒噴射可能。煙幕発生装置は排気口に燃料を吹き付けて煙幕を展張するもので200mの煙幕を発生させることが可能で、煙幕の持続発生時間は2~4分、装置の持続作動時間は10分。煙幕発生装置のほか、76式76mm四連装煙幕発射筒×2基を搭載することも可能。

69II式戦車は、西側諸国から技術導入して開発された加工精度を高めたAPFSDS-T弾を組み合わせることで従来の遠距離での命中精度低下を解消することに成功した。既存の59式100mmライフル砲を使用したことで、59式戦車用に生産された砲弾を使用することも可能となり補給や兵員の教育面でも有利であった。各種の改良を加えたことで、車両としての完成度も高められた69II式戦車は、69式シリーズの標準型というべき地位を獲得した。69II式戦車は1982年から生産が開始され、3000両を越える車両が生産されることになった。しかし、その大半は輸出向けの生産であり、中国軍では50両程度の配備が行われるに留まった。これは、59式戦車のアップグレードが進んだこと、中国軍向けにさらに性能を向上させた69式戦車の改良型である79式戦車(69-III式戦車/WZ-121D)が実用化された事、また69II式戦車自体が当初から海外への輸出向けとして開発されていた要素が強いからであった。

1970年代までの中国の兵器輸出は、友好国への援助や革命勢力の支援といった政治的要素の強いものであった。販売価格も生産コストを割り込んだ「友好価格」で提供されることも多かった。この状況は、1980年代に入ると大きく変化することになる。鄧小平による改革解放政策により、あらゆる部門での独立採算制が求められるようになり、それまで抑制されていた利益の追求が大っぴらに認められるようになったのである。従来、中国製兵器が輸出されていなかった国々にも政治的立場を問わず広く兵器を売り込んで利益を上げることが求められるようになった。第五機械工業部は、この流れを受けて生産体制の整っていた新型戦車である69II式戦車を輸出向けの主力製品とすること事を決定した。69II式戦車の輸出取り扱いは北方工業集団公司(NORINCO)が担当した。69II式戦車は、各国で広く運用されていたT-54/55戦車のインフラを流用することが可能であり導入のための新たなコストが必要なく、射撃統制装置などの改良によりT-54/55戦車よりも高性能な車両を安価に提供できるというのがメリットであった。1981年には海外市場向けに、NBC防護装置やトランスミッションに改良を加えた69II式戦車の改良型である69IIA式戦車の開発が開始され、1982年9月には開発作業が完了した。

69IIA式戦車は輸出の主力となり、各種派生型を合わせて約3,000両が生産され、その多くが海外に輸出された。主な輸出先は次の通り。バングラデシュ50両(69I/69II式。1991年に輸入)、イラン500両(69II 式。1986~88年に輸入。北朝鮮経由)、イラク1,500両(69I/69II式。1983~87年に輸入。2,000両説も有る。)、ミャンマー80両(69II式。1989、1995年に輸入)、パキスタン250両(69IIP/69IIMP式。69IIMP式はパキスタンでのノックダウン生産。1993~99年)。タイ53両(69IIS式。派生型を合わせて108~200両以上という説も。1987、1989年に輸入。タイでは30式戦車と呼ばれる)、ジンバブエ10両(69II式。1987年輸入)。69II式戦車は、輸出先の要望に応じて、コストを下げるため射撃統制装置を簡易化、砲塔に4連装発煙弾発射機やHEAT弾対策用の格子型のラックを搭載するなど様々な追加装備が行われ多くのバリエーションが存在する。

タイでは当初、105mmライフル砲を搭載した69II式戦車の輸出を希望していたが、中国でライセンス生産していた105mm砲の第三国への輸出が許可されていなかったため従来型の100mmライフル砲タイプが輸出されている。また、タイの69IIS式戦車(タイでは30式戦車と命名)は対空機関砲を54式12.7mm砲からアメリカ製のM2重機関銃に換装している(未換装の車輌もあり)。タイ陸軍は、中国から「友好価格」で69II式戦車とそれをベースとした戦車改修車、架橋戦車を合わせて100両以上を輸入した。しかし、アメリカ戦車の運用に慣れたタイ陸軍にとっては30式戦車の射撃統制装置の性能は満足できる物ではなく、通信機材もタイ陸軍の通信システムとの互換性が無いことが判明した。履帯が切断しやすく寿命が短いことも問題となり、中国からの部品供給が順調に行われなかったため稼働率に問題が生ずることにもなった。このあたりは、政治的に装備導入が決定され事前の調査や導入の準備が十分に行われなかったことが背景にあり、一概に69式戦車自体の問題とも言い切れない面がある。その後、タイでは2004年頃まで30式戦車の運用を行っていたが、中国側との部品供給交渉の決裂(中国側は部品代金として500万ドルを提示したが折り合いが付かず)や不景気による燃料消費の削減などの理由で、108両をスクラップとして21両のみを訓練用戦車として運用を行うことにされた[13]。その一方で、一部の69IIS式については100mmライフル砲を58口径105mmライフル砲へ換装するなどの近代化を実施しているのが写真で確認されている[18]。

イラクは生産国の中国を上回る69式シリーズの最大のカスタマーであり、イラン・イラク戦争での需要もあって上記の通り1,500~2,000両という多数の69I/ 69IIA式戦車を輸入することになった。イラクでは、69式戦車にソ連製T-72戦車の125mm滑腔砲とカセトカ自動装填装置、射撃統制システムを組み込んだ火力強化型を開発している。これらの車両は、湾岸戦争やイラク戦争で多くが破壊されることになるが、現在でも一部の車両は新生イラク軍での運用が継続されている。

バングラデシュでは50両の69II式戦車を輸入。105mm戦車砲の搭載を行うなどして現在も運用しているが、125両を輸入した59式戦車と合わせて近代化改修を計画しており、中国製125mm滑腔砲の搭載や射撃統制システムの改良などが検討されている。

79式戦車(69-III式戦車/WZ-121D)の開発は69II式戦車の開発と前後して開始された。改良の中心は、西側諸国より入手したL-7A3 105mmライフル砲(81式/83式105mm戦車砲としてライセンス生産が実施される)を69式戦車に搭載する点であった。既にイスラエルなどの協力を受けて59式戦車に105mm戦車砲を搭載した59II式戦車(WZ120B)が実用化されており、この開発で得られた成果が69式戦車への105mm砲搭載に反映されることになった。当初、この設計案は69III式戦車の名称が与えられていたが、後に「79式中型坦克」の制式名称が与えられることになる。(79式戦車の詳細については79式戦車(69-III式戦車/WZ-121D)の項を参照のこと。)69II式戦車が大量に海外に輸出されたのに対して、79式戦車は中国軍にのみ配備された。79式戦車が輸出されなかった理由としては、79式戦車がもともと中国軍向けに開発されたこともあるが、より大きな要因としては105mmライフル砲のライセンス生産時の契約において、105mm砲の生産開始後、第三国への輸出は15年間禁ずるとの条項が入っており、これがネックとなって輸出が出来なかったとされる。

上記の69式の改良は、いずれも主砲を換装するものであったが、100m滑腔砲の実用性を向上させるという改良案も存在した。この改良案は、1984年12月20日、「関于改装69式中型坦克的協議」で検討が行われ、正式に研究開発が命じられた。この車両には「69-1式中型坦克」の名称が与えられた。「関于改装69式中型坦克的協議」を根拠に、1985年3月には69-1式坦克設計組が25名の技術者によって開組され、装甲兵科の研究所において設計開発作業を開始することになった。1985年4月15日には設計案の概要報告が行われ、5月には基本設計が完成した。設計案の検討が行われた結果、1985年7月28日から8月2日にかけて69-1式戦車に関する検討会議が開催された。改造費用の圧縮のため、会議では一部の要求を修正することを決定し、新たな69-1式坦克主要戦術技術指標を策定した。会議録である「69-1式坦克方案審定会紀要」によると、この時の要求変更により、当初の要求であった100m滑腔砲を放棄して、L-7A3 105mmライフル砲と59式56口径100mmライフル砲を搭載した2つの試作車を製作すること、高度な射撃統制システムに変えてより簡易なシステムに変更することが決まった、設計グループでは上記の要求を受けた第二次設計作業を開始することになった。彼らは2つの設計図を作成することになり、100mmライフル砲搭載型はWZG-121案、105mmライフル砲搭載型はWZGA-121案の名称が与えられ、1985年末には2両のWZG-121の試作車両が完成した。WZGA-121案は、設計のみで試作にはこぎ着けなかったと推測されている。2両の試作車は1000kmに及ぶ冬季の走行試験や射撃試験を実施し、基本的にその性能を立証することに成功した。1986年4月、総機部は戦車砲と射撃統制装置に関して改修を指示、第二次改修は1987年には終了した。1988年12月28日には、軍による制式化を前提とした試験が終了した。軍と総機械工業部による改修意見を取り入れた上で、69-1式戦車の開発作業は完了した。

69I式戦車の主要な改修箇所は以下の通りである。①69式戦車の69式100m滑腔砲を59式戦車で使用されている59式100mmライフル砲に変更。100mm砲には気温による砲身の歪みに対処するためサーマル・ジャケットが装着された。②簡易式射撃統装置を採用。諸元入力は自動化されておらず砲手が行うが、従来の中国戦車に比べると命中精度は大いに向上した。③HEAT弾対策として、車体側面にサイドスカートが装備され、砲塔周囲には籠状ラックが溶接された。④戦闘室の自動消火装置導入⑤煙幕発生装置の採用。⑤西側戦車に倣った三色迷彩の採用。⑥クラッチの作動を改善するため、圧縮空気による動作補助が採用され、変速操作が容易になった。⑦通信装置を新型のCWT-167戦車通信機とCYY-168車内通信機を採用し通信能力を向上。これらの改造により、69I式戦車は原型の69式戦車に比べ性能の向上に成功したと評価された。ただし、69I式戦車が部隊配備されることはなかった。その理由は明らかになっていないが、69I式戦車が実用化された1988年には既に100mmライフル砲を搭載した69式戦車の改造型である69II式戦車、そして105mmライフル砲を搭載したより高性能な79式戦車が実用化されており、それらの車両よりも遅れて登場した69-1式戦車を配備する意味が失われたと判断されたのでは無いかと推測されている。

1988年になると、中国軍総機部は69IIA式戦車をベースにした中国軍向け戦車を開発することを決定した。この戦車の生産番号はWZ-121Hと名付けられた。1988年8月に開発が決定、その後1988年11月から1989年2月にかけて技術開発と生産準備が行われ、1989年8月には試作車3両が完成した。9月には開発工場での性能試験が実施され、中国軍の装甲兵科と総機部の試験を経て「69IIM式坦克」と命名された。新規開発されたコンポーネントはほとんど無かったため、開発から生産までの流れは非常にすばやいものがあった。69IIM式戦車は、1989年から1990年3月まで生産が行われ、中国軍装甲部隊への配備が実施されたが、それ以降の生産は行われなかった。

69IIM式戦車は、車体構造、射撃統制システムなどほとんどの装備は基本的に69IIA式戦車を踏襲している。外見上の変化は戦車砲をサーマル・ジャケット付き105mm戦車砲に換装、そして最初から砲塔周囲にHEAT弾対策用の格子型のラックを装備し、4連装発煙弾発射筒を2基搭載している点である。また車体正面と砲塔前面に付加装甲を装着して防御能力を向上させることが可能となった。似た様な性能の79式戦車と比べると、エンジンは69IIM式戦車が580馬力で79式戦車の730馬力に比べて低出力であり、射撃統制システムでも79式戦車に搭載された物の方が射撃制度や反応速度に優れている。また、夜間暗視装置も79式が微光増幅パッシブ式を採用したのに対して赤外線アクティブ式のままであり、被探知能力に劣るものであった。

既に69式戦車をベースに開発された105mm搭載戦車である79式戦車が存在するにもかかわらず、やや劣る性能の69IIM式戦車を後から開発することになった詳しい経緯は不明である。ただし、この直後に69IIM式戦車をベースにした輸出向け戦車の開発が指示されたことから、69II/69IIA式戦車に変わる次期輸出向け戦車のテストベッドとして105mm砲搭載型69式戦車を開発させたのでは無いかとも推測される。69IIM式戦車の中国軍向け生産が少数で終了したのも、輸出向け車両の生産に先立って生産ラインを構築して中国軍で部隊規模での運用経験を得られるだけの車両数があれば良いと考えられたのではないだろうか。なお、79式戦車の記述で触れた105mm砲の第三国向け輸出に関する制限がどのように解消されたのかについても詳細は不明である。

69IIM式戦車をベースにした輸出向け戦車は、パキスタン向けの69IIMP式戦車(BW-121J)と69IIMA式戦車(WZ-121K)、そして指揮・通信能力を強化した指揮車型の69IIMB式戦車(WZ-121KZ)の3種類が存在する。69IIMP式戦車は、1989年7月に開発が始められ、1991年にはパキスタンでのノックダウン生産が開始され1999年まで生産が続けられた。69IIMP式戦車は基本的には69IIM式戦車の構成を引き継いでいるが、夜間暗視装置は従来のアクティブ赤外線式からパッシブタイプの微光増幅式に変更されている。また射撃統制システムもより高度な装置に換装され、照準・射撃時間の短縮に成功している(固定目標に対しては7秒以内、移動目標には10秒以内で射撃可能)。パキスタンでは、69IIP式戦車・69IIM式戦車の2種類の69式シリーズが運用されており、その総数は250両になる。

69IIMA式戦車の開発は、1992年4月に開始され、2ヵ月後には設計作業が完了、その年の11月には技術試験を通過して開発が完了した。本車の特徴は、射撃統制システムと砲安定装置の改良、そして2本の通信用アンテナを装備している点であった。69IIMA式戦車は機動力以外では79式戦車に匹敵する性能の戦車となったが、1990年代ではその能力は既に旧式であることは明らかであり本車を採用した国はこれまでの所確認されていない。

中国では1999年に外国の69式運用国向けに69式戦車の近代化改修型である69IIG式戦車(B69IIIG?)を提案している。本車は69II式戦車のアップデート案であり、主砲を軽量125㎜滑腔砲に換装、射撃統制装置や暗視装置も近代化される。ただし、イラクでの125mm砲搭載型とは異なりカセトカ自動装填装置は搭載されず装弾は装填手によって行われる(装填補助装置を搭載)ので乗員は4名のまま。射撃速度は4~6発/分。軽量型125㎜滑腔砲には中国製のAPFSDS弾(距離2,000mで均質鋼板600mm貫通)、HEAT弾、HE弾が用意されているが、これだけでなくソ連/ロシア系の各種の125mm砲弾を使用することも可能。砲口には反動を減少させるための多孔式マズルブレーキが装備されている。同砲の諸元は以下の通り。砲身長6,000mm、砲重量2,650kg、最大後座力400KN、1000mでの命中精度はAPFSDS弾で0.28m×0.28m、HEAT/HE弾で0.30m×0.30m。69IIG式戦車の他の諸元は以下の通り。戦闘重量36.8t、砲弾搭載数30発、砲俯仰角度-5~18度、全周射撃可能。防御性能や機動力に関しては原型のままであるが、これらの面についても運用国の予算や要求に応じた能力向上が可能である。69IIG式戦車自体は、現在の所採用国はないが、本車と類似した59式戦車の近代化改装がパキスタンで実施されており(Al-Zarar戦車)、パキスタンの69式シリーズも同様の改装が施される可能性は高いと思われる。

69式戦車シリーズとその派生型は、1970年代から1990年代初めにかけて極めて多くの種類が開発された。多数のバリエーションが登場したことについては、改革解放で西側技術の導入が可能となったこと、従来の自国軍隊向けの装備だけでなく最初から外国の軍隊に輸出商品として売り込むことを前提にした輸出専用装備も各種開発されたことなどが理由として挙げられる。以下は、管見の限りでの69式戦車シリーズとその派生型の一覧。なお、ここでは79式戦車のシャーシを使用した車両も69式戦車シリーズに加えている。

69式WZ-12159式戦車をベースに開発され100mm滑腔砲を搭載するが、この砲は失敗作だった。
69I式WZG-121改修型の1つ。当初は100mm滑腔砲を搭載する予定だったが命中精度の問題から100mmライフル砲に換装。試作のみ。
69I式WZGA-12169I式の派生型。105mmライフル砲の搭載を計画。設計のみと思われる。
69II式69式シリーズの標準型となる。100mmライフル砲とTSFC2射撃統制システムを装備する。
69IIA式BW-121A69II式の輸出向け改良型。多数が輸出される。
69IIB式 69II式の指揮戦車型。中国戦車として始めて発電用補助動力を搭載。1982年から生産。
69IIC式69IIB式の指揮戦車型。69IIB式の通信装置を換装し通信能力を向上。1982年から生産。主に輸出向け。
69IIC1式69IIC式の改良型。通信用アンテナを延長し通信機能を強化。1983年から生産。
69IIM式WZ-121H69IIA式の改良型。105mmライフル砲を搭載。
69IIP式69IIA式のパキスタン向け輸出型。
69IIS式/30式戦車69IIA式のタイ向け輸出型。タイでは30式戦車とも呼ばれた。対空機関砲をM2重機関銃に換装(54式12.7mm重機関銃のままの車輌もあり)。多くが退役したが一部の車輌はアップグレードが施されている。
69IIMP式BW-121J69IIM式のパキスタン向け改良型。69IIAP式とも。パキスタンでノックダウン生産される。
69IIMA式WZ-121K69IIM式の改良型。
69IIMB式WZ-121KZ69IIM式の指揮戦車型。
69III式(79式)WZ-121D105mmライフル砲と英製FCSを装備する。79式戦車として制式採用。
69Ⅳ式 改良型。詳細不明
69式125mm砲搭載型 イラクで開発された火力強化型。ソ連のT-72戦車と同じ125mm滑腔砲とカセトカ自動装填装置、射撃統制システムを搭載している。改造数は不明。
69IIG式B69IIIG?69II式戦車のアップデート案。主砲を軽量型125㎜滑腔砲に換装、射撃統制装置や暗視装置も近代化。海外の69式ユーザー向けに開発された。
120mm砲搭載型 2003年のIDEX2003兵器ショーで展示された69II式戦車のアップデート案の1つ。主砲を120㎜滑腔砲に換装、射撃統制装置や暗視装置も近代化。海外の69式ユーザー向けに開発された。
79式WZ-121D69式戦車をベースに、エンジン出力を強化(580hp→730hp)、TSFC2射撃統制システムや微光増幅式パッシブ式暗視装置を搭載、誘爆対策を施した能力向上形
79E式79式戦車の指揮車型
79-I式派生型の1つと思われる。詳細不明。
79-II式BK-184069II式や79式戦車をベースに、一部装備を簡略化し、新型赤外線暗視装置や砲安定装置、スラット装甲などを搭載した輸出向け改良型。未採用。
WZ653中型戦車回収車WZ-65369II式をベースに開発された戦車回収車
W653中型戦車回収車W-653WZ-653戦車回収車の輸出型。
84式中型戦車回収車WZ-653A79式戦車のシャーシを使用した戦車回収車。中国軍向けに開発。
84式戦車架橋車WZ-62179式戦車のシャーシを使用した戦車架橋車。
88式37mm自走機関砲PGZ-8869式のシャーシを流用した自走対空砲。
80式57mm自走機関砲WZ-30569II式のシャーシを流用した自走対空砲。
GSL-130総合地雷処理車GSL-13079式戦車のシャーシを使用した地雷処理車両。
装甲観測車 88式37mm自走機関砲を模した装甲観測車。制式名称など詳細は不明。
WZ-6411装甲輸油車WZ-6411装甲燃料輸送車。
アクティブ防御システム搭載型 98式戦車用のアクティブ防御システムを搭載したテストベッド車輌。詳細は不明。
ガスタービンエンジン搭載型 1970年代に開発されたST6J-771型ガスタービンエンジンを搭載したテストベッド車輌[1]。戦車用ガスタービンエンジンの研究開発に使用された。

69式戦車の中国軍自体への配備は、シリーズ中で最も多く生産された79式戦車にしても500両程度と約1万両が生産された59式戦車に比べると少数で終わった。この理由としては、69式戦車の実用化まで長い時間を要し、性能も59式戦車とあまり代わり映えしないものに留まったこと、59式戦車もアップグレードにより性能を向上し続けたこと、鄧小平による経済開発優先政策により新型装備の調達の優先度が下げられたことなどが要因として考えられる。

改革開放による軍事費削減は軍事産業にとって打撃であったが、国内需要の落ち込みを補うために国外市場を対象にした輸出活動を積極的に行うという新たな展開を生じさせることにもなった。その有力な輸出商品の1つになったのが西側技術を導入して能力を向上させた69式戦車シリーズであった。1980年代に国際兵器市場に登場した69II式戦車は、ソ連のT-55並みの性能でより高度な射撃統制装置を搭載したリーズナブルな戦車として第三世界各国に輸出が行われた。兵器輸出において商業利益を優先し、輸出先の国々の政治体制を問わない姿勢も市場を拡大するのに有利に作用した。その結果、3,000両近い69式戦車を輸出することに成功したが、これは軍需産業の経営にとって大きな支えとなると共に、技術開発予算が削減されるなかで輸出によって得られた資金を次の戦車開発の費用に充てることが可能となった。中国では、この経験を踏まえて、自国向けに開発された戦車を輸出するという立場から一歩進んで、最初から国外市場向けに新型戦車の開発を企画して、共同開発を行うパートナーを募集して開発予算を得るという開発方法が採用されることになる。米キャディラック・ゲージ・テキストロン社との共同開発であるジャガー戦車、パキスタンとの共同開発である85-IIM式戦車/85-IIAP式戦車(WZ-1228)90-II式戦車(MBT-2000/アル・ハーリド)がそれにあたる。

69式戦車は、文化大革命の国際的孤立時代に開発が開始され、改革開放政策によって入手が可能となった西側技術により能力を向上させ、国際兵器市場において多数の車両を販売することに成功した。1970年代から1980年代の中国の国策の変化による影響を大きく受けた戦車であったといえるだろう。

【参考資料】
[1]航空档案-中国主戦兵器 2005年6月号(総第170期)「中国自行設計的第一代中型坦克-1969年式主戦坦克」(凌翔/《航空档案》雑誌社)
[2]航空档案-中国主戦兵器 2005年6月号(総第170期)「中国1969年式主戦坦克的系列変型車」(凌翔/《航空档案》雑誌社)
[3]坦克装甲車両 2004年5月号(総第219期)「百花斉放的69式改進型坦克」(孔凡清・将言/《坦克装甲車両》雑誌社)
[4]『中国兵工企業史』 2003年(李滔・陸洪洲(編)/兵器工業出版社)
[5]兵器知識 2004年10月号「旧瓶新蓋-用125毫米坦克炮改装59/69式坦克」(宋彦明/《兵器知識》雑誌社) 
[6]月刊グランドパワー 2004年6月号「中国戦車開発史(1)」(古是三春/ガリレオ出版)
[7]『戦車名鑑-現用編-』(後藤仁、伊吹竜太郎、真出好一/株式会社コーエー)
[8]『江畑謙介の戦争戦略論[II]-日本が軍事大国になる日』(徳間書店/1994年)
[9]戦車研究所
[10]Army Guide
[11]Chinese Defence Today
[12]Global Security
[13]中華網「泰購中T-69S型坦克已成廃鉄、只剰21輌可用」
[14]中国武器大全
[15]坦克與装甲車両
[16]新浪網 中国59到88式主戦坦克的技術発展
[17]資料匯編:121底盤不完全大観
[18]DEFENSE STUDIES「RTA & RTAF Firepower Demonstration」(2009年11月22日)

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